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お粗末な財界トップ高坂節三氏

2003817

宇佐美 保

 経済同友会憲法問題懇談会委員長の高坂節三氏は、雑誌《論座:20037月号》で“憲法を改め、ウソの文化と決別せよ”と、又、《諸君:20039月号》で“平和と繁栄は、金では守れない”と息巻いていますが、私には高坂氏の「人間の格」に疑問を感じるのです。

 

 先ず、高坂氏が“憲法を改め、ウソの文化と決別せよ”と声を荒らげる背景として、次のように語っておられます。

 一昨年六月、「日本はウソの文化と決別しなければいけない」というコラムが『ウォールストリート・ジャーナル』に載りました。考えてみれば確かにそうです。だつて、インド洋にイージス艦を派遣して、集団的自衛権じゃない、と。実質的に軍隊を持っていて、外国からもそう見られているのに、軍隊ではなく自衛隊です、というような解釈をしているわけです。そういうことが、国民が政治不信を起こす理由です。

 みんな詭弁です。詭弁とウソで塗りつぶしてきた風土。これを外国から見ると、日本はどこまでを守って何をするかということがわからない。結局アメリカに追随するということだけ。だから国際社会は日本をあまり評価しない。しかし経済力はあるから、お金は出してもらうと。国連でも国際的な安全保障の話になると、日本はアメリカに追従しているから別に日本の意見を聞かなくてもいいとなる

 おかしいではありませんか!?

『ウォールストリート・ジャーナル』が、日本に対して、「日本はウソの文化と決別しなければいけない」と書く前に、アメリカ自身が「嘘、捏造報道の文化と決別しなくては成らない」と書き立てるべきではありませんか!?

 今回のイラク侵略にしても、アメリカは捏造報道で世界を戦争に巻き込んだのではありませんか!?

 

 この件に関して少し木村三浩氏(新右翼団体「一水会」代表)の論評“イラク侵略戦争に見るアメリカの真の狙い”(雑誌《NIPPON 2003.6》)から抜粋させて頂きます。

先ずは、次の点です。

……軍事力・経済力でナンバーワンのアメリカを、誰も止めることが出来ないでいるなか、フセイン政権時代のイラクは正面きってアメリカに物申してきた911事件の際にも「自業自得だ」とはっきり言っていた。そこまでアラブ民衆の本音を語ったのは、フセイン大統領だけだった。

 本来ならば今こそ、イラクのように、アメリカを批判できる、気骨ある国が必要とされているのだ。……


 そして、フセインのイラクは潰されたのです。

日本が平和憲法を破棄して軍事大国となったら、アメリカに正面切って物申す事ができますか?
 更に引用させていただきます。

……イラクは昨年11月から査察を受け入れ、抜き打ち調査は勿論のこと、ヘリコプターやU2偵察機を使った査察にまで応じている。31日からはミサイルの廃棄作業も進めていた。

 それなのに、なぜイラクは攻撃されなければならなかったのか。

いずれにせよ攻撃を受けるのなら、武装解除を促す「査察」など、受け入れないほうがマシだったのだ。「査察」を通じて機密情報を洗いざらい開示させ、ミサイルを廃棄させ、挙げ句の果てに攻撃とは、これはあまりに卑劣な「騙し討ち」に近いではないか。アメリカは、査察を受け入れたイラクの誠意を踏みにじったのである。


 更には、

今年2月に来日した元査察官のスコット・リツター氏(元アメリカ海兵隊員)が洗いざらい証言している。同氏は、アメリカがイラク攻撃を行なえば、さらに大きなテロを招くとして、アメリカ国民としての真の愛国心から、査察の実態を述べている。同氏によれば七年半の査察で、「90ないし95%の兵器が破棄された」という。イラクの大量破壊兵器破棄、そして経済制裁解除まで、あと一歩のところまで来ていたのである。

 

 そして、アメリカは侵略後にイラクに大量破壊兵器を発見出来ないとなると“イラクへの侵攻の目的は独裁者フセインの打倒であった”と嘘に嘘を重ねています。

イラク攻撃のアメリカの目的(否、ブッシュ政権の目的)は、明らかに利権であったはずです。

ですから、木村氏は次のようにも述べています。

 今回の攻撃でアメリカが得るであろう利益は莫大なものだ。新兵器の実験と旧式兵器の在庫処分によって軍需産業が潤い、戦後復興にはアメリカ企業が次々と参入してくる。イラクの地下に眠る世界第2位の埋蔵石油の利権も、優先的に確保するつもりでいる。ロッキード・マーチン社は、今年1月から3月期の売り上げが昨年に比べて18%増加したといい、インフラ復旧事業ではベタテル社が800億円あまりのプロジェクトを受注し、油田の復旧作業はハリパートン社やブーツ&クーツ社などのテキサス系の企業が引き受けている。

 ……とりわけブッシュ政権は、多くの高官たちが、戦争で利益を得る大企業の顧問などを務める「利権屋集団」だ


 なにしろ、ブッシュ親子が関係しているカーライル・グループは、米国最大の兵器メーカーを傘下に収めているのですから。

(この件については、拙文《ちんけなチェンチェイ中西輝政京大教授》にも抜粋させて頂きましたのでご参考下さい)

 

 それでも世界の多くの人達には、“フセインは、クウェートを侵攻した悪者”とのイメージがこびり付いていますが、元アメリカ法務長官ラムゼー・クラーク氏の著作《ラムゼー・クラークの湾岸戦争》(地湧社1994815日発行)には、アメリカの謀略によって、いわばイラクが焚き付けられ(又、止むに止まれず)クウェートに侵攻した事情が明記されています。(この件は、拙文《暴君はフセインですか?アメリカではありませんか!》に引用させて頂きましたので、御参照下さい)

 ですから、イラクのクウェート侵攻も、湾岸戦争もアメリカの出方次第では起こり得なかった戦争だったのです。

 

 なのに、高坂氏は次のように書かれているのです。

 私の安全保障観に決定的な影響を与えたのは九〇年八月、イラクがクウェートに侵攻した「湾岸危機」の際、たまたま米・コロンビア大学で、エグゼクティブ向けのセミナーを受けていたときのことでした。

 先代ブッシュ大統領がフセイン政権非難のテレビ演鋭を行った翌日、予定されていた講義のプログラムはすべて中止となり、我々受講生は大きな階段教室に集まって、この歴史的事件について、意見を述べ合うことになりました。

 そのセミナーは、アメリカ以外からの参加者が約半数を占めていましたが、各々、説明するなか、日本人たる私は、いったい何を語ったらいいのか、ひとり途方に暮れていました。憲法第九条の制約のなかで、果して何ができるのか。日頃、考える機会がほとんどなかったからです

 思えば、日本は石油使用量の九割近くを中東からの輸入に頼っている。その重要な地域の秩序が、目前で破壊されようとしているのに、どのような態度をとればいいのかも判然としないのです。

 

 更には次のようにも語っておられます。

……日本は海洋国家で資源を年間八億トン輸入して、製品を一億トン輸出している、そういう体質です。湾岸戦争のとき、私はアメリカにいました。当時、アメリカの人はどう言ったかというと、湾岸戦争で軍隊を派遣したら、ペルシャ湾を航海している船の大半は日本向けのタンカーで、我々は日本の利益を守るために戦っているようなものだ、と

そういう意識をアメリカ人は持っているわけです。

軍隊を持たずに九条の精神で平和を愛して、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼していけば、それだけでよいと、皆さんが考えるのならそれは一つの選択だが、現実はそうじゃない。

 

本当に高坂氏は日本の一流企業のトップとなる人材だったのでしょうか?

先ず「憲法第九条の制約のなかで、果して何ができるのか」との発想自体が、おかしくはありませんか?

憲法第九条」は「制約」でも「足枷」でもないのです。

私達日本人の守ってゆく「理想と目的」なのです。

そして、悪戦苦闘しながらも、私達日本人は何とかそれを守り維持してゆこうとしているのです。

 高坂氏が「ひとり途方に暮れる」といった愚か者でなかったら、この「憲法第九条」の意味合いを、アメリカ人、そして世界の人達に高らかに歌い上げていたはずです。

たとえ、同席の方々の同意を得られず、袋叩きに合おうともそれはそれで良いではありませんか!

高坂氏は「日頃、考える機会がほとんどなかったから」との言い訳を、「いかにして武力による世界貢献をすべきかを考えていなかった」というのではなくて、「「憲法第九条」の意味合い重要性を考えていなかった」という事だったと、認識を改めるべきです。

(この件に関しては拙文《平和憲法は奇跡の憲法》を御参照下さい)

日頃、高坂氏は「憲法第九条」を「絵に描いた餅」程度に認識され、「憲法第九条」を蔑ろにされていたのではありませんか?

 

 「湾岸戦争」当時なら、イラクのクウェート侵攻がアメリカの謀略であったとは、気が付かなかったとしても、今の時代になっても、アメリカの正義を頑なに盲信して、その上“憲法を改め、ウソの文化と決別せよ”と国民に向かって宣言するのは日本の財界トップの地位にある方の態度とは思えません。

 

 更には、高坂氏は次のように語っています。

 軍隊を持たずに九条の精神で平和を愛して、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼していけば、それだけでよいと、皆さんが考えるのならそれは一つの選択だが、現実はそうじゃない。

 

 そして、又、次のように。

……日本がアメリかとたもとを分かつことによって、より日本が安全になるのか、あるいは日本が軍隊を全部減らして、平和憲法のできたときの趣旨に戻って、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、もう武力は持ちませんと言ったら、より安全なのか

 しかも今や日本は、さっき言ったとおり、世界中と貿易し、人を派遣し、事務所がでやとやっているわけです。そういうものを安全に守るためには、やっぱり日本として毅然とした態度を取ることが必要だと思うんです。

 

 全く高坂氏は、憲法の前文の精神を御理解出来ていないようです。

日本国憲法の前文には「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と書かれているのです。

全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と言う事は、ただ単に、「もう武力は持ちませんと言ったら、より安全なのか」と言った範疇の話ではないのです。

この理想と目的達成の為に、先ずは「……国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と思い、その為に、国際社会への貢献等、他国民以上の努力をし、痛みも受けようとの覚悟を宣言しているのではないでしょうか?

 (どうかこの件に関しては、拙文《平和憲法は奇跡の憲法》をご参照いただきたく存じます。)

 若しも「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、もう武力は持ちません」と宣言しただけで、その国が安全になるのなら、どこの国でも(アメリカはいざ知らず)「平和憲法」に改定するでしょう。

何しろ、各国の軍事費は驚くほど巨額額なのですから。

2002年度の各国軍事費を以下に掲げます。(単位は億ドル)

ロシア

日本

中国

英国

サウジ

ブラジル

2946

588

444

411

342

338

282

205

183

175

更には、インド:144,韓国:125,パキスタンですら36億ドルも費やしているのです。

こんな無駄金を何故費やさなくてはならないのですか?

軍事産業に関連する輩の為にですか?

もっと有効活用すべきではありませんか!?

(但し:自衛隊のホームページを見ますと、2003年度の予算は49265億円ですが、この外に、後年度負担として29421億円計上されています。)

 

 だからこそ、この様な馬鹿げた軍事費に金縛りに遭っている世界を何とか開放すべく、勿論、人間の命を蔑ろにする戦争を放棄すべく、日本国は進んで茨の道を歩もうと決意したのではありませんか?!

 

 そして、この前文の精神を全く理解できていないからこそ、次のようにも語っているのです。

前文はけしからんとは言わないけれども、元気が出ない。極端なことを言えば、この憲法は天皇制のところを除いたら、よその国へ持っていって明日から使える憲法ですよ

 

 全く認識不足です。

今どこの国が、日本と同じ平和憲法を発布実行できるのですか?

日本だからこそ、今まで平和憲法を背負って来られたのではありませんか!?

 

 そして、高坂氏は、次の愚劣な見解を記述します。

 日本の特徴を端的に示す文言を、個性的な魅力ある文体によってアピールすること。みんなが読んで、これは名文だと思えるものがほしい。それが新しい憲法に望まれる最大のポイントのひとつです。

 

 なのに、高坂氏は以下のように記述しているのです。

 日本が太平洋戦争後歩んできた道はどこか間違っている、日本人の安全保障意識は世界の常識とは著しくずれている、という思いは次第に高まってきました。

 

 高坂氏の思考が支離滅裂な事がお判りでしょう?

日本の憲法は、世界とは異なる必要があると言い、日本人の意識行動は、世界の常識とずれてはならないと言っているのです。

私達日本人は「良しと思える意識行動」が如何に世界の常識からずれていようと、その独自の意識行動を世界に訴えてゆくべきではありませんか!?

 

 更に、支離滅裂な高坂氏は、次のように「前文を変える」等と、全く愚かな見解を披露してしまうのです。

 一つは前文を変える┄┄それをどう書くかはまだ考えていませんし、まず皆さんで議論することが最も大事ですそこで落としどころを考えればいいし、書くのなら司馬遼太郎のようなだれか有名な小説家に文章を書いてもらうとか、そういうことだっていい。二十一世紀、日本が世界に対して結果的に、そういうものが貢献していける素材ではないかと思っています。


 高坂氏は、新たな憲法の前文を“だれか有名な小説家に文章を書いてもらう”と思っておられますが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏ですか?前日本劇作家協会会長で現在の日本ペンクラブ会長であられる井上ひさし氏ですか?

お二人は誰よりも平和を守ろうと奮闘されておられる方々ではありませんか?

『男子の本懐』にて、第一次大戦のバブル崩壊に伴う戦後恐慌に、昭和2(1927)年の金融恐慌と混乱の続く中で、大蔵大臣井上準之助と二人死を覚悟して、緊縮財政と軍縮外交のデフレ予算をあえて編成し、二人して殺されたライオン浜口雄幸を、『落日燃ゆ』にては、極東軍事裁判(東京裁判)で日中開戦と南京虐殺への責任を問われA級戦犯として処刑された広田弘毅を著した城山三郎氏ですか?

 

 ところが、高坂氏は、小泉首相の靖国参拝に対して、次のように語り、浜口、井上、広田氏らに比べるもなく、ご自身の「人間の格」の低さを露呈されていますから、城山氏はこの高坂氏の依頼を拒絶されるでしょう。

「東京裁判なんてけしからん、あれは国際法違反だ」という人もいる。しかし、もし東京裁判ではなく、国内の裁判をやっていたとしても、ほぼあれと同じような結果になったといわれている。これが正しいかどうかはわかりません。しかし、少なくとも、サンフランシスコ平和条約を受け入れて、国際社会に復帰したんだから、国民感情としてあれだけひどい目に遭わされた、A級戦犯になった人までなぜ合祀しなければいけなかったのか、疑問です。できることなら東条英機の親族が自発的に取り下げて、東条御社か、あるいはA級戦犯だけを祀る社を造るとかすればいいと思う。

 現に広田弘毅(元首相。文官。東京裁判の結果、絞首刑になった)の銅像は、故郷の福岡に立っています。

 おかしいではありませんか!?

マスコミも日本国民も挙って太平洋戦争に賛同していたのではありませんか?

なのに、“国民感情としてあれだけひどい目に遭わされた、A級戦犯”と“悪いのは「A級戦犯」のみ”との責任転嫁は無責任極まりないと思います。

靖国神社のホームページには、“事変や戦争に尊い生命をささげられた、たくさんの方々が靖国神社の神さまとして祀られています”と書かれています。

靖国神社の役割としたら「A級戦犯」の方々を合祀するのは尤もですし、ご遺族の方々が自発的に合祀を取り下げる必要などは全くないのです。

 

 中国などは、「A級戦犯」の方々を合祀されているとの理由で、首相をはじめとする政府高官の靖国神社への参拝に反対しています。

(この件に関しましては、拙文《小泉首相の靖国参拝》にも引用させて頂きましたが『文芸春秋:2001年9月特別号』に古山高麗雄氏の書かれた「万年一等兵の靖国神社」を御参照下さい)

しかし、本来の反対の趣旨は、次の記述(『平凡社百科辞典』から引用させて頂きました)にある「日本の軍国主義と密接な関係をもった神社」である「靖国神社」に政府高官が参拝する事が、日本の軍国主義への反省の欠如を、且つ、復活への懸念を感じさせる点にあるのだと思います。

 靖国神社は国家が戦争による死を〈国家隆昌〉をになったものとして意義づけて〈靖国の神〉となし,死者によせる遺族の心情を国家に収斂(しゆうれん)する場であったともいえよう。その意味では,日本の軍国主義と密接な関係をもった神社とみることができる。一方戦死者の遺家族には,肉親が〈靖国の神〉となることによって〈靖国の家〉という優越感を抱き,誇りとするむきもあった。

 

 そして、靖国神社のホームページに因りますと、「靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建され、初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。」と言う事ですし、昭和天皇は、靖国神社へのご親拝を、昭和50年11月21日の皇后陛下との行啓を最後に、ご崩御になるまで行わず、毎年815武道館で行われる政府主催の戦没者追悼式へ御参列されて居られたのです。

 

 ですから、今上天皇、皇后両陛下も、この追悼式へ遺族、各界の代表らが参列し、且つ、今年も、小泉首相は式辞でアジア諸国への加害責任に触れた上で、「不戦の誓いを堅持する」と表明しています。

この意味からも、宗教(神道)を離れた、国立戦没者追悼施設の建設をすべきと存じます。

しかも、靖国神社には、軍神となる事を拒否された仏教とキリスト教徒の方々も合祀されているのでしょう。

ところが、靖国神社総代で且つ日本遺族会会長の古賀誠自民党前幹事長は8月4日の講演で「靖国神社の形骸化につながる方向で議論が進められていることに怒りを感じる」と息巻いているのです。

 

そして、問題の高坂氏は、先の引用をもう一度掲載致しますが、次のように恰もA級戦犯のお一人である広田弘毅氏がご親族のご意志等で分祀されたかのように次のように述べられているのです。

 A級戦犯になった人までなぜ合祀しなければいけなかったのか、疑問です。できることなら東条英機の親族が自発的に取り下げて、東条御社か、あるいはA級戦犯だけを祀る社を造るとかすればいいと思う。

 現に広田弘毅(元首相。文官。東京裁判の結果、絞首刑になった)の銅像は、故郷の福岡に立っています。

 

 しかし、靖国神社のホームページには次のように記述されております。

 戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に戦争犯罪人という、ぬれぎぬを着せられ、無惨にも生命をたたれた1068人の方々靖国神社ではこれらの方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています。

そして、電話で確認させて頂いた結果「故広田弘毅氏も、靖国神社に祀られている」と靖国神社は教えて下さいました。

 

それにしましても、高坂氏は城山三郎氏の著作『落日燃ゆ』をお読みになった事があるのでしょうか?

私は以前テレビで放映された『落日燃ゆ』のドラマを見て、広田弘毅氏に感銘を受け直ちに城山氏の本を購読して、広田弘毅氏への尊敬の念を新たにしました。

 

広田弘毅は、昭和113月から総理大臣を務め、軍の横車から10ヶ月ほどで総辞職し、蘆溝橋事件のほぼ1ヶ月の前の昭和12年の6月近衛内閣の外務大臣に就任後、中国に介入しないとの彼の信念から、陸軍の派兵に徹底して反対し、南京残虐事件の報が入ったとき、杉山陸相に抗議し、13年の5月には外務大臣を辞めています。

にもかかわらず広田氏は、日中開戦と南京虐殺への責任の名目で、極東軍事裁判に引きだされ、A級戦犯として処刑されてしまったのです。

そして、広田氏と、その裁判について、ホームページ(下記)を探しますと、次の記述がありました。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/genyou/gen11/gen11-01.htm

11か国の裁判官11人のうち5人は、広田の死刑に反対。オランダのレーリンクは「広田が戦争に反対したこと、そして、彼が平和の維持とその後平和の回復に最善を尽くしたということは、疑う余地がない」と明確に無罪を主張した。

 外相在任中の日中開戦、南京虐殺の責任を追及されたが、レーリンクは「(駐日米大使)グルーの日記の記述によって、その当時、広田の地位は強力なものでなかった。文官政府は軍部にほとんど無力であった」とみていた。

(中略)

 「自分は今度の問題については一切弁解はせぬつもりだ」と妻の静子に告げていた。その言葉通り法廷では証言しなかった。弁護人にも「私が証言台に立てば検事からいろいろな尋問を受ける。それに対して正直に答えれば、他人のことに触れなければならない。それでは他人に迷惑がかかるでしょう」と話していた。

 静子は裁判中、服毒自殺する。「パパ(広田)がいる時代に、日本がこんなことになってしまって。戦争を止めることができなかったことは恥ずかしいことです」。死の直前、子供たちに漏らしていた。

確かに、広田氏は「自分の証言が他人へ迷惑になる」とも考えたでしょうが、「どんなに自分が日中開戦、南京虐殺に反対していても、当時外務大臣という責任或る地位にいながら、軍部の横暴を阻止出来なかった」という事実は疑いもない事実として受け止め、その責任を(又、無念さを)痛感されていたのでしょう。

(勿論、今の無責任横行の日本には、このような人物は居ないのでしょうし、又、この広田氏の心中を理解出来る方も少ないのではないでしょうか?多分、高坂氏などは御理解出来ないでしょう。)

 そして、この広田氏の偉大さに打たれた彼の郷土の方々が、広田氏を永遠に偲ぶ為に銅像を建てられたのではありませんか?

 

従いまして、広田氏の銅像は、靖国神社からの分祀問題と全く無関係と存じます。

(それにしましても、同じ福岡の出身とはいえ、広田弘毅氏と、靖国神社総代の古賀誠氏では、人間の器が比較にもならない程違うのが大変残念な事です。

更には、自民党議員の中には、「朝鮮占領中でも日本は挑戦に鉄道を引いたり色々良い事を行った」なのに、「日本が悪い悪い」と謝ってばかりいるのは「屈辱外交だ」と下品に喚く方が多いようですが、広田弘毅氏だったら「悪い事は悪かったのだ」の一言ではないでしょうか!?)

 

そして、高坂氏は次の悠長な御結論でとんでもない論文を締めくくっておられるのです。

京都という旧い街や家の影響から逃れようと海外に飛び「出していったつもりでしたが、いつもそこに引き戻されてしまう。結局、それが私の人生なのでしょうか。

 

 高坂氏は「京都という旧い街や家」を掛替えのないホームグランドとご認識されておられるようですが、「青空の果てに」とのホームページを訪ねますと、次のような恐るべき記述を目にします。

((http://www.warbirds.jp/senri/09ibun/kiyouto.html))

……「京都は戦災を免れた」という神話が何処からともなく生まれた。

 一説では東洋美術学者ウォーナー氏がルーズベルト大統領に、古代美術品の宝庫である

京都に対する爆撃回避を進言したためと伝えられている。しかし、この説には疑問がある。

私は復員途中に京都の街を歩き、爆撃の跡をこの目で見ている。強制疎開のため壊された

家屋と、爆撃によって破壊されたものとは明らかに相違があった。

  最近になってこの疑問は解明された。西日本新聞の「春秋」に京都爆撃の記録が掲載さ

れたからである。 これは「昭和二十年六月九日、知事事務引き継ぎ書」という公文書から

抽出されたものである。

 昭和二十年一月十六日二三・一〇 (東山区東大路通・常盤町・上馬町・下馬町。死者

                  三十四人。負傷者五十六人。家屋損失四十四戸) 

 同    三月十九日〇七・三〇 (右京区春日通。負傷者一人。家屋損失一戸)      

 同    四月十六日一二・〇〇 (右京区太秦。死者二人負傷者四十八人)

 同    四月二十二日〇九・五〇(右京区大宮町。負傷者四人)  

 同    五月十一日一〇・〇〇 (上京区河原町通・荒神口通。負傷者十一人)

 以上のとおり京都は五回にわたり爆撃を受け、死者三十四名と多数の負傷者があった

とが、公式文書に記載されていたのである。これは昭和二十年六月九日付けの文書である。

だから、これ以降にも爆撃を受けた可能性も否定できない。

 やはり、私の記憶は正しかったのである。だが、なぜ「京都は戦災を免れた」との神話

が生まれたのだろうか。まず第一に、東京・名古屋・大阪などの他の大都市に比較して、

被害が極端に少なく目立たなかったことが理由であろう。

 次に原爆投下との関連である。アメリカ軍は原爆投下の候補地として、新潟・京都・広島・小倉・長崎の各都市を選定していた。最終的には広島と長崎(小倉)が目標となり、

結果的に京都は原爆投下を免れたのが、第二の理由である

……まず、原子爆弾での被害の評価が正確にできる。次に、原子爆弾が最も経済的、効果的に使用できる。以上の二点から、新潟・京都・広島・小倉を候補地として選定した。そして、この候補地に対しては爆撃や艦砲射撃などの通常攻撃を禁止した。

 

 このような事実を高坂氏はご存じでしたか?
京都にさえも原爆が投下されていたかもしれないのです。

更に又、今日のテレビ朝日「スクープスペシャル」にて、“『大東亜戦争終結ノ詔書』が数日遅れていたら、東京(皇居)に第3の原爆が落とされていた。”報じられていました。

 

 武器を持てば禄な事はないのです。

戦争なんて禄な事ではありません。

少なくとも、アメリカの戦争を見てゆけば、正義の戦争などないのです。

 

高坂氏の論文は《平和と繁栄は、金では守れない》と、「平和と繁栄」を同列に置いていますが、平和と繁栄では、格が違うのです。

浜口雄幸氏と同じライオンと言われても、「国のため、次世代を考え」命を懸けた浜口氏よりも格が段違いに低い小泉首相は“戦争と平和とを比べたら平和の方が良いに決まっている”とほざいていましたが、平和と戦争を比較対比してはいけないのです。

平和と戦争では、浜口雄幸氏と小泉純一郎氏の格の違い以上に格が違うのです。

 

 高坂氏が京都を愛するなら、仏教を大事になさるべきではありませんか!?

拙文《平和憲法は奇跡の憲法》にも書きましたが、日本は、以下のように「法華経」における【常不軽菩薩】となるべきと存じます。

即ち、日本(常不軽菩薩)は、世界各国に向けて“「菩薩の道(即ち、「平和憲法」:戦争放棄)を行ずることによって「(即ち、平和)」になりますよ。”と説いて廻るべきだと思っています。

 そうすれば当然のこととして、世界各国はそれを聞いて、嘲笑したり、悪口を言ったり、ののしったり、あてこすりを言ったりしますが、日本(常不軽菩薩はじっとそれを堪え忍ばなくてはならないのです

そして、いつの日か、(世界各国)この菩薩(日本)の教化(即ち、戦争放棄)によって、正しい教えに入ることを成し遂げ、仏(平和)へとつながる道を歩むことができるようになりました

となるべきだと思っているのです。

そして、その宿命を日本が負わされているのだと思っているのです。

そして、日本国民こそが、その宿命を負う事の出来る誇り高い民族であると存じています。


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